ファミリーメンバー紹介

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伝道師 中尾博章

1970年奈良県桜井市にて出生する。
幼少より神様は必ず存在すると信じていた。

家庭内の事情から幼くして警察官僚を目指し、勉学に励み…成績は学年トップクラス。
空手道4段、柔道3段、剣道初段…の有段者でもある。

しかし、悲しきことかな…複雑な家庭環境へと移り変わり、その夢を…断念せざるを得なくなる。

その後、中尾の人生は180度大きく変わった。
反対側の道である…任侠道の道を選んだ。
中尾の定義する…任侠とは、仁義を重んじ… 弱きを助け、強きを挫くために体を張る自己犠牲的精神や…武士として常に腹を斬る覚悟を持った渡世人として生きることであった。

中尾は、自身がこれから歩む道を…
「常立戦場·常在戦場」と戦死と獄死を腹に括った上で、任俠道の門を叩いたのであった。
中尾は…30年間、紆余曲折を経ながらその道を突き進んだ。

であるが、哲学的な事や宗教的な事柄に対する深い探求心を持ち合わせながら、生きていた事から、人は何の為に生まれ、何の為に生きて、何の為に死んでいくのか?という思いが…若い頃からあった。

26歳より、沖縄の地に6年近く移住し、琉球祖神道の修行に入り、ユタとなる。
その後、神人(かみんちゅ)…を得度するも、 満たされる事なく、真言密教の扉を叩くも…同じ様に完全に満たされる事はなかった。

38歳の時に、ある人の薦めから…聖書を読む様になる。
ここに真理がある!…と自分が求めていた事が、この1冊にあるとの確信を得た。

握り締めている御言葉は…
『誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古き者は過ぎ去り、見よ、全て新しいものが生じた』
「新約聖書 コリント人への手紙 第2 5:17」

『私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主が私の光だ。』
「旧約聖書 ミカ書 7:8」

49歳で、奈良県生駒市にある生駒聖書学院に…入学し、組織神学、根本教理、聖霊論、説教学、伝道宣教学、教会史、ウエストミンスター信仰基準、ハイデルベルク信仰問答、などを…幅広く学ばせて頂いた。

現在も多くの名誉神学博士、神学教授から…
深い神学研究を個別にご教授頂いている。


《中尾博章経歴》

16歳にて四代目山口組初代倉本組舎弟頭を…務めていた相馬博明組長率いる相馬組本部の枝の若い衆となる。

18歳まで2年間…相馬組親分本宅で部屋住みの…下積み修行をし…相馬親分より、極道のイロハを…厳しく叩き込まれながら教育を受け育てられた。

18歳で生まれて初めて逮捕され…奈良特別少年院送致となる。

20歳にて相馬組内良心會若頭を預かる。
21歳にて相馬組々長の盃を受け…若頭補佐として最年少で執行部に入る。

同年、21歳で…倉本広文本家親分のSWAT(警護組員)に、抜擢される。当時の倉本組は直参約95名…構成員2500人近い組員がいたが、 倉本組本部内で、力のあった…相馬組々長の強い推薦から異例の出世とされた。

その後、経済ヤクザとなり…非合法な手段を用いて、かなりの額のお金を動かしていた中尾であったが、それまで手を出した事のなかった…覚醒剤に手を出してしまい、覚醒剤に溺れる日々を過ごす様になると、同時に…今まで積み上げてきた信頼と実績を失い、暫くの間…廃人同然となった時期もあったのである。

24歳より姫路少年刑務所に服役する。
32歳より大阪刑務所に服役する。
34歳の時にある事件にて、10年以上の長期服役を徳島刑務所にて余儀なくされる。
〔 通算服役年数15年7月〕

46歳にて満期出所後…すぐに…堅気となる。
2年間の信仰生活を経て…洗礼を授かれる運びとなり、クリスチャンとなった。受洗後…中尾は、 完全に新しく造られた者となった。古き自分はもう過ぎ去ったのである。
内在する罪の性質ともいえる…様々な誘惑や試練にあう時は常に…自身の内にある不純物を取り除いて頂ける為の、神の無条件なる恵みだと思っている。

神の愛から離れることなく、己に死に、強き自我を打ち砕かれ、金や銀に左右される事なく、日々…真の伝道師としてありたいと傲慢を敵とし、へり下る事を喜びとしながら、『祈り』に重きを置く毎日を過ごしている。
早天祈祷、断食祈祷、徹夜祈祷など…
祈りは、神と人との交わりであり、祈りこそ、神に生かされている恵みの内を歩める…新しくされた中尾の信仰そのものの姿であるとして…
現在に至っているのである。在主。
妻と2人…鳴門海岸で恩師である『清原修』牧師を通して受洗にあずかる。
生駒聖書学院での講義中…全身全霊をもって修得していた。
大阪市西成区にある救霊会館にて証をさせて頂く…中尾伝道師。
大和高田キリスト教会で証をさせて頂く…中尾伝道師。

中尾かおり(伝道師夫人)

1969年徳島県阿南市にて出生する。
21歳の頃、大阪市中央区宗右衛門町のラウンジで働いていた。常連となり、常に…高級ブランデーを飲んでは、[やしきたかじん]の歌が歌手レベルに上手い…中尾に…1目惚れしてしまう。が、当時の中尾には妻子がいた。

が、不倫という形で2人は、結ばれてしまった。

2人には、遠く離れるべき距離ができてしまうのは、当たり前の流れであった。今後の生涯において、2人が、再会する事はないと…誰しもが思っていた。

が、それから…25年後に…偶然を装った必然、つまり…神の摂理によって2人は再会をした。

中尾を25年間…想い続けていた、かおりの1途な愛がその瞬間…現実のものとなったのである。
その後…1途に中尾を想い続けた、純情可憐な女の気持ちを知った…中尾は日本男児として、その愛を受け入れ…夫婦となる。

伝道師として、生涯の全ての権利をイエス·キリストに明け渡した中尾の妻になる…かおりは、自発性による信仰を持つ様になった。 
下記の御言葉を握り締めながら…中尾と同じくキリスト信仰を不退転のものとした。

『ですから監督は、非難されるところがなく、1人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、☆【自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません。自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会を世話することができるでしょうか。】』

『新約聖書テモテへの手紙第一3:1~6』

《伝道師フォロー》
これは、使徒パウロからテモテに書かれた書簡であるが…監督者、すなわち牧師をはじめとしたチャーチリーダーに対しての資質が書かれてある。
伝道師夫人や牧師夫人の資質ではない。
だが、☆【~】にした「家庭を治める」という箇所に関しては夫のみの責任とは言えない。
妻にもその資質の一端が、問われるのではないだろうか?

この御言葉に含む…「牧師夫人」に問われる資質はただ1つしかない。
「自分の家庭をよく治める。自分自身の家庭を治められない者が、どうして神の教会を世話することができるのであろうか?」

加え…3:11には、『この奉仕に就く女の人も同じように、品位があり、人を中傷する者でなく、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません』とパウロは述べている。

色んな誘惑や試みのあるなか、妻であり、信徒でもある…かおりは、家庭を治めれる夫人として歩める事を…日々の祈りの課題とし… 御言葉の上に立ち、霊肉…共に整えられた生活を過ごせる様に、家庭を治めきれる事を祈りの第一優先課題として…祈りを呼吸とする日々を送っている。
妻…30年以上前の写真掲載を希望する。
鳴門海岸にて同じ…恩師【清原修】牧師を通して受洗の恵みにあずかる妻。
聖霊なる神様から受霊を受けた授霊日。中尾が手にしている時計は、ウブロビッグバンpt850ベゼルダイヤ巻き…神様からのご褒美と言えよう。
かおりの左胸に夫の名前を彫る。右のiを除き、右から読むと中にKaoriの名前が収まる。

田中詳三 (教会員)

1966年福岡県にて出生する。
高校中退まで、イジめられっ子として育つ。

地元の地上げ屋に就職したものの…
「運転手」兼「雑用係」として、月給5万円の小遣い程度しか支給されなかった。
1日の大半なる時間を雑用に奪われ、対価に見合わない労働力を、半強制的に強いられていた。

強い反発を覚えていた田中は、地上げ屋事務所内にあった金庫の中から、現金320万を無断で持ち去り、真夜中に夜逃げを決行した。

滋賀県に逃亡した田中は、風俗店でお金を使い果たし、無一文となってしまう。
自暴自棄に陥り、琵琶湖にて入水自殺をしようとしたが、通りすがりの人に阻止され…未遂に終わる。

警察に保護され交番で2時間近く号泣した。

その後、紆余曲折を経て…伝道師 中尾との出逢いがあった。
田中は、中尾より4歳年上であるが…中尾と誕生日が同じ日という事から、異常な迄の親近感を覚え…中尾に師事を仰ぎ…聖書を読む様になった。

握り締めている御言葉は…
 『喜んでいる者たちと共に喜び…
 泣いている者たちと共に泣きなさい。』

 『新約聖書 ローマ人への手紙 12:15』

現在は、宅配便の運転手に従事し、汗を惜しまず働く姿勢には、見習うべきところがあるが、酒と若い女性に弱い点が中尾の頭を抱えさせる問題である。

が、飲みに行ったお店の女性に求道心を芽生えさせ、教会に導く伝道心も合わせ持つ田中である。

その女性は、今…洗礼教育講座を中尾から受講中で、2024年のイースター復活祭に受洗予定でいる。

神様が置かれた場所で、福音宣教拡大の為に小さな働きながらも、信仰を手離さない田中は、教会にとって…大切なファミリーメンバーの1人である。
大和ジーザスファミリー教会員。田中詳三
姐さん女房と結婚でき…懸命に汗を流し働く田中教会員。
老体に鞭を打ちながらでも…汗を惜しまず働く田中教会員。
楽をしてお金を稼ぐ事しかできなかった田中教会員‥現在は日々250〜300件の宅配業務をこなす。

上田利安 (教会員)

1960年 徳島市で出生する。

高校卒業後、ある新聞社の配達所に就職し、朝刊400部、夕刊370部を配る新聞配達員を1年近く続ける。
も…欠配が続いたり、カブで事故を頻繁に起こしたりと…ミスマッチが、多発してしまい… 加えて、無断欠勤や遅刻も多かった事から…解雇されてしまう。

その後、日産自動車の社内清掃員としてパート雇用される。
が…2年勤めても正社員にもなれず、時給もわずかな金額しか…あげて貰えなかった。
上田の心中に、積もり積もっていた不満もあった事から、「今日で辞めますわ」とスッパリ…その日の内に日産のパートを退職する。

間もなくして見合い結婚の話が巡ってきた。
条件として…住まいとする家が、大阪府寝屋川市内でいいなら、建ててあげるから…養子にきてくれないか?と見合い相手の親から言われた上田は、新築の一軒家付きに引かれてしまい…喜び、タコの様に、舞い踊りながら…養子に入った。
養父の紹介で、日経新聞の正社員とし就職できた上田…汗を流す事を苦にせず…授かった2人の子供の為に、嫁の為にと…残業をも喜んで引き受け、身を粉にして働いた。

中尾が神学生の頃…上田は、ネットニュースで中尾の存在を知った。
その後、生駒聖書学院教会の日曜礼拝で中尾と初めて出逢う…運びとなった。
2019年6月9日に生駒聖書学院…前学院長の榮義之学院長を通して、洗礼を授かる。

洗礼を授かった後…礼拝に集う様になったのであるが…ある過ちを犯し、教会を離れてしまう。

精神的に弱くなった時や何かで重荷を負ってしまった時に、中尾に電話をかけてくる関係が今日まで続いている。
これからも続くであろう。
電話好きな上田は、最高通話時間…中尾と9時間34分、一方的なマシンガントークで話した事もある。

中尾は携帯を充電しながら、携帯が熱くなっても上田のマシンガントークに付き合った。
翌日、耳が痛くなり…耳鼻咽喉科にて、耳を診察して貰った経緯があったものだ。

中尾が教会を献堂した際には、教会員として…残りの余生を神様に捧げたいと上田は言う。上田の内にある…聖書知識は、皆無に等しいが…上田の純粋な熱意を中尾は信じ、教会員として成熟したクリスチャンになって欲しいと切に祈るばかりである。

礼拝は欠かさず脈で集い続けること…日曜は教会に来て、神を賛美し…伝道師の口を通して、御霊が語って下さる説教を聞き続けていく事で、上田の虫瞰図なる…視野も鳥瞰図として広まっていくであろう。

上田が握り締めている御言葉は…『聖書はこう言っています。この方に信頼する者は、誰も失望させられることがない。』
『新約聖書 ローマ人への手紙 10:11』

岩の上に立つ信仰が上田に与えられ、自発的に教会と繋がり続けてくれる事を…祈るのが、中尾の日々の祈りの大きな課題である。
上田には、神様の国と神様の義を求める者として神様に用いられる器になって貰いたいと…心から祈るばかりである。
大和ジーザスファミリー教会員…上田利安
生駒聖書学院名誉院長となられた…榮義之牧師を通し、受洗にあずかる上田教会員。
生駒聖書学院内にある…洗礼槽にて…受洗の恵みにあずかれた上田教会員。
聖書勉強会を終え帰路に着く上田教会員。